撮るときは撮るし焼くときは焼く

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

気になる写真展.
ゼラチンシルバーセッション08展.

いま,第一線のフォトグラファーの作品を一同に会して,かつ,プリントした作品が見れるという,おそらく今後は見れない企画ではないか?と思われる展示である.

写真の原点は,光による物質の化学反応を物理的に定着させること.そのための手法と環境を整えることが,フォトグラファーのまず第一の仕事である.それが感光現像定着を経たフィルムとして存在することが,フォトグラファーの生命の証であったのが10年前.いわゆる,このようなフィルムを使った写真を銀塩写真という.

ところが,2000年ごろから,デジタルカメラが登場し,フィルムを使った写真はどんどん駆逐されてきた.フィルム,そしてそれを焼き付ける印画紙は軒並み製造中止となり,それまでのフォトグラファーの表現手段が奪われてきた.

この現状にたいして,フォトグラファーがそりゃねえんじゃねえか,ということで立ち上げたのが,この集まりなのだろうと思う.感剤がなくなっていくというのは,表現手段を取り上げられるということでもあり,切実な危機感がある.

しかし,この流れを止めることはできないであろう.

ひとつは環境問題.感剤は,かなりの劇薬.重金属を含む廃液をだすので,処理は専門業者でないと難しい.環境を壊してまで写真を撮りたいのかというと,悩まざるを得ない.
もうひとつは,産業としての写真業界.写真を撮影するところでは,精密電子機器としてのデジタルカメラが,価値集約の商品としては今後も重要であろう.
そして最後に,イメージを記録したいという人の欲望をとめはできないだろうということ.

これまでは見たものを記録するには,書き写すか写真を撮るしかなかった.書き写すには,能力による表現の差,あるいは,再現性の問題があった.一方,写真は撮影が成功したのか失敗したのかは,フィルムを現像するまではわからない,という問題があった.このフィルムを確認するまでのタイムラグというものが,写真を成り立たせていた要因のひとつではなかっただろうか.

しかし,デジタルカメラは,そのタイムラグをほぼゼロにまで縮めてしまった.撮影と同時にその画像がよいか悪いか,即座に判定できるようになる.すると,シャッター一回の価値は減縮し,より正確な写し絵を人が簡単に得ることができるようになった.そのフィードバックの正確さと素早さになれてしまうと,銀塩の変化などは遅すぎるだろう.実用的な観点からは,もはや後戻りはできまい.それを表現手法としてどう生かすか,まだ錯誤の余地は9割ぐらいあるだろうと思う.

とはいえ,あえてタイムラグ,いまではそのタイムラグが逆に価値を持ち始めているともいえる.アンコントローラブル,そして不安定な銀塩というメディア,そして,結果が事後にわかるという,状況のずれ.そのある意味,野性的ともいえる写真の側面を失っていくことが,果たして社会にとって廃棄するべき文化なのだろうかというと,それも確かに疑問である.

まじめなこといってるようだが,ようは,行為はすぐだが結果がすぐにはあらわれない.このペンディングの感覚が,エロティシズムであるかもしれない.
それに脱いだ人を写真とって,そのままデジカメで確認するって,ちょっとなえるじゃないですか.
撮るときは撮るし焼くときは焼く,この主観性の切り替え,大事ではないか.

そんな写真が見れたらいいな!

ゼラチンシルバーセッショントップページ