お話は無茶っぷり

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レキオスを読む。

著者の池上さん、天才です。無茶っぷりがすごいですね。シャングリ・ラを読んですごいなー、と思っていたのですがこの作品もすごいです。

この無茶っぷりというのは、個人的には向井秀徳さんのような無茶っぷりと近い感覚です。顔も、なんか似てる。。。

以前、SIGHT誌のインタビューで、沖縄という土地での不思議な話をされていたので、興味がありましたが、その感覚がモロに出ていて、くらくらとしためまいに見舞われます。

モチーフになる、歴史性やらの材料というのは、使いようによってそこまでになるかー、というのにびっくりします。

この辺り、個人的にも関心があり、以前調べたことがあるのですが、むかーしの藤原家の礎をつくったといわれる藤原不比等という人物がおります。それは、天皇の皇位継承に関わるシステムを作っちゃったという仮説が出されている人。

上山春平氏の著作で、埋もれた巨像というのがあり、そのなかで、当時の皇位継承の際には、刀を受け継いでいくのですが、女帝が登場すると一度不比等に預けられて、男系が即位すると刀が戻される、という仕組みの話が出てきます。

つまり、権威と権力を分離することを設計してしまったということです。ある意味では宗教的な権威性の及ぶ範囲を設定し実務能力を取り上げ、実務を取り仕切るラインとを区別し、それを代々伝えていく仕組みを当時の段階でなんとなーく決めちゃったということです。

藤原不比等にとっては、藤原の血筋が皇位継承と対になるカタチで続いていくという目論みが果たせると同時に、現代に生きる我々にとっても関係する雲の上の方の国の仕組みがつくられてしまったと言えます。

それは、中国のように、帝王が出現することのない、欧米のような革命という概念の存在しない日本という国のあり方をシステムとして構築してしちゃったような、そんな感じです。

なんでそんなことを調べたかというと、小学校だか中学校の歴史の授業の時に、「藤原氏は大変な栄華を極めましたよー」、と先生がいっていたのですが、次の週の授業では全然藤原氏の話が出てこなくて、何だと思い、その授業のときに、「藤原氏はどうしているんですかー?」と質問したけれど、「まだ当時は藤原氏もいたと思うよ。。。」と答えで、腑に落ちず。その後、何度かにわたって藤原氏について質問したけれど、そんな答えだったように記憶しています。

その影響で、日本史なんてウソくせえ、とおもい、あんまり真剣に勉強をしたことがなく、今日に至るというありさまです。

実際のところ、私を含む現代の人の99.9%とって、授業で伝承される歴史的事実に連なる人は、なんら関係がない。
逆に言うと、0.1%はどれくらいかというと、1億2000万の1%は120万人なので、その10分の1で、12万人。歴史上の人物とその末裔などを考えてみると、個人的には妥当な感じがします。

そんな少数の人の歴史なんか聞いてられるか、というのが個人的な感覚。それよりも、家族を大事にするとかした方がよくねぇか?ともおもいます。

しかし、敵を知って己を知れば、百戦危うからず、ということで、この国の仕組みを知ることも大事だよね、と思い返している今日このごろ。