サロ門

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サロゲートを観た。

以前、別のブログでヒューマノイドロボットについて考えたので、観なければと。

どういう映画かっていうと、自分の身代わりとしてロボットを操って日常生活を送り、生身の人間は家に引っ込んでいるという社会。この社会でロボットを壊すことで操る人も死亡するという事件が発生。真相は?というものです。

以外と短い!というのと、米国のSFらしい、世界がたいへんなことになるのだけれど、主人公周辺のミニマムな社会は再生するという、映画でデートに耐えるつくりとなっています。

さて、、

ロボットを遠隔で操作するという事について、どうやってその感覚を伝達するのだろうかという課題は、 BMI(Brain Machine Interface)の問題に関係しますが、だれかがいずれ実現してしまうでしょう。その実用化は医療福祉関連分野からスタートして、民生化される、あるいは、軍事技術としてか。

その特殊な状況はそれとして、それよりも気になり恐ろしいと思ったことは、行動や生活について、その乗っかったシステムに依存している状態について。

情報通信のインフラ屋さんのひとかけらくらい足をのせている身分なので、それが動くようにがんばる気持ちになるのも大事。

いまのところ、ネットワークから遮断されても、実生活は大きく毀損されこそすれ、にっちもさっちも行かなくなるということは無い。でも、いつでもどこでもネットワークにつながって行く状態であるのは確かで、どんどん脳みそを外部化しているなという感覚は強くなるばかりで、切断されるのはちょっとまずいぞと。

サロゲートは、そのシステムに依存しているという状態、ようは、その他の余地があんまり残っていないという不安感がいっぱいであるような印象を受けました。

オチは無いのですが、未来を見せるSFというよりも過去を見せるSFといったらよいのでしょうか。前進力とは違うSFの世界です。