横井さん

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横井さんと行ってもしょういちさんではなく。あー、そういえば、座るときに「よっこいしょ(ういち)」というかたいるー。一体いくつなんだろう。自分はそれを知っているからいいけれど。

横井さんといっても横井小楠の方です。昨今の大河ドラマブームにのって、幕末モノがほんのり盛り上がっていたので、本を読んでみました。

なぜ横井小楠なのか?というと、出身の福井県でいろいろとやったらしいということは、小さいときに聞いており、そういえば具体的に何をやってどうしたのか?が気になってはいたわけです。坂本龍馬との関わりや、松平春嶽との関わりからではなく、横井小楠とは何ぞや?という事を勉強です。

横井小楠は、肥後熊本の生まれで、儒学者。途中で福井藩の政治顧問、最後は新政府の参与となるが、61歳の時に京都で暗殺される、という人生です。
書き出すと長いのですが、本で印象的だったのは、上に立つ人は、能力があるからその地位にあるのであって、そうでなければ別の能力のある人が任にあたる、という思想。
これは、世襲を否定する事になるので、徳川政権や天皇制すら覆すような発想。確かに合理的にそうなんだけれど、いっちゃうとキケンだろうと。
で、これに加えて、幕府であるとか行政主体は何のために存在するかといえば、それは民のためのサービス機関であるぞ、という発想も持っていたそう。ようは、国民国家として、国を富ませる事を主たる任とする事が求められますよと。
福井藩はこの発想を取り入れて、殖産興業のために藩の物産を扱う問屋のようなモノを始める訳です。この時登場するのが三岡八郎です。
また、いろいろな政策を福井藩主であった松平春嶽が行うのですが、そのときも基本的には横井の意見を受けていたと。で、横井がいない間は、結構右往左往していたふしがあり、なんだーそうなの、と思ってみたり。

基本的には、原理的合理主義とでも呼びましょうか、そいうクレバーを感じました。つまり、すべき事というのは王道であり、それは善であるという原理に基づいて、ごの原理に基づいた実行形態については、情緒や慣習ではなく、合理的判断に基づいて決するべきである、との考えではないかとらえています。これに対置されるのが、西洋合理主義、覇道と言いましょうか、信教と政経を分離して経済合理性を原理とした活動これ自体の駆動力は、至る道が無い以上は、これは受け入れがたい、という観念もあったのかなと考えます。

以上、もろもろと考えるところがある訳ですが、さて、今日の日本でその考えはどう活かされるのか翻ってみると、昨今の国際情勢から何らかのヒントになるかもと考えます。
世の中問題は山積しているので、これに対処しなければならないのは必然として、その問題への処しかたに理念があるかないか。宗教的原理主義は、わかりやすい反面、人道に反することもたたあり、また一方で、経済的な原理主義は、その駆動力ゆえに制御が難しい。故に、原理は善でありつつ、実行にあたっては、合理的判断を下せる柔軟性を備えた装置として、政治経済機構を備える必要があるのであろうと考える訳です。
ただこれは、ある意味では権威と実権との分離をうまいこと実現してきた日本という国が得意としてきたところでもあり、どうやるかはともかくとしてそういう統治形態を輸出できるようになると、世界で食いっぱぐれないのかもしれないなと想像してみたりしてます。

最後に、横井小楠はすごい人だー、などと後世になるとイメージだけ残るのですが、酒好きで結構失敗しているという事実もちらほら。人間そういうもんだから面白いなーと感じざるを得ないのです。