工房的都市論Ⅱ 都市の始まりと情緒

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ローマ的都市建設 都市とかそういうことについて考えるために本を読んだりなど。 都市計画の世界史、なるものがたまたま書店にあったので、読んでみたり。

改めて考えてみると、そもそも都市という存在が人間の意志の力のみによって形成されているという当たり前の事実に驚愕を覚えるしだいです。なぜならば、地方、そして、山村というのは、その自然の地形や形態に合わせて人々暮らしてきたという素朴な事実に裏付けされ、そしてまたその自然条件が制約条件として人間の活動を阻むという、これもごくあたりまえの歴史によって数百年なりの歳月が流れているという訳なのです。 (ということが、のっけから本に書いてあったのですが、案の定読んだ事を忘れているという、、、)

出生して育った環境がまた、その環境であるからこそ、都市に対する個人的な感覚というのはまだ適合してはいないな、という感覚はします。

 都市における河川は上記の観点からすると、幾分自然の条件を担保するよすがとはなりますが、巨大土木事業の前にあっては、やはり人為的な工作によって造成されていることも否めません。 よって、これらの自然条件に対して人間の意志によってつくりあげられ、かつ、変化を続ける存在であると、まず都市を定義することができます。

 さて、それではそもそもなぜ人為的に、ある意味においては自然の条件を超えるかたち人口を集積し、かつ、土地を造成し建築物をたてるようになったのかという疑問が生じます。

 これらを考えるにあたって、二つの疑問にぶちあたります。
 一つは都市のおこりをさかのぼっていくと、世界最初の都市とはどういうもので、どのように発生してきたか。自然発生的な都市形成はいったいどういう風になってきたのか。 もう一つは、身近な都市としての東京がどのよう発生してきたのか、そしてそれがどのよに計画されて、かつ実現されてきたのかそうではないのか。 ただ、この辺りを深堀するとなぜかデンパな説に突き当たってしまうのですが。。。

 まず最初の疑問について調べていくと、世界で最初の都市がおこったのは、メソポタミア文明だそうです。現在のチグリス・ユーフラテス河畔、現在のイラク辺りですね。具体的には紀元前5000年頃、ウバイド文化期とよばれる期間が1500年ほど続き、後に、ウルク文化期が後に続き、神殿や文字による記録を始めたそうです。特にこの期には既に、神殿やらが出来上がり一種の階層化が進んだものとみることができます。
 ただし、われわれが知りたいのは、文明の形成期における都市の形成です。そういう事に興味を持って研究されている方もおり、大変勉強になります。"都市誕生の考古学"、という本を読むと、ウバイド後期からウルク後期にかけての社会の平等性から集権化へと変遷していた過程がまとめられています。人が増える事によって、都市が形成され、かつ、環境変化による物資の偏在や職能による機能分化によって、現在の都市的な構図を生じていく過程が研究されています。

 また、合わせて興味深いのが、墓制の変化を追っている展です。考古学には疎いので何ともわかりませんが、発掘される遺構では、やっぱりお墓が多くて、故に実証的な研究を行うとするならお墓が対象にならざるを得ないということはあげられます。 これがヒントになるのは、都市の起こりは、機能が先きか情緒が先きかというと、個人的にはどうやら情緒が先きなんじゃないかと考えるに至りました。

 ここで言う機能というのは、その都市建設に目的がある場合と考えます。この例をあげるにあたって、大変面白い本がありまして、"都市 ローマ人はどのように都市をつくったか"、という本があるのですが、ローマ帝国期の都市というのは、多くは計画都市として造成される場合多く、それはローマを中心とした帝国体系内での衛星都市群が、その土地の政治的、経済的、文化的中心として機能するように計画され実施さされていた、ということがあげられます。これは、住む者にとってはどっちだっていいのですが、帝国を存続させるという目的においては、その意図をくんだ機能果たす都市を造る事が手段となる訳です。 ところが、じゃあ、そのローマ人はどうやって都市をつくったかというと、テレベ川河畔にいたエトルリア人の集落的地域をそのまま増築増築して街を広げていったらしい。ということは、振り出しに戻ってじゃあなんで集まったのという疑問に突き当たり、個人的には、どうやら機能的な都市を造る事が目的で都市ができたんではないなと考えるにしだいです。

 そこで出てくるのが、情緒的なもので、お墓という存在です。エクストリームな環境での埋葬は、例えば鳥葬などがありますが、農耕定住生活では一つの場所で生老病死が起きるわけです。すなわち、どうしたって死者と向きあって生活する必要がある訳です。 話はもどってウバイド後期に発掘された墓は、モノによっては住居の床下だったりしたそうです。そこまで近いとどうなのよ、と現代の感覚からは思いますが、そういう生死の近さというのは、あるいみ自然なのかもしれません。

 ここまで考えてみると、話が飛びますが、墓地と住居の距離感が、実は都市形成の発端なのではないかと考えています。自分が死んだら寂しいなーと思うところに墓をつくるか?ということです。お米がたくさんとれて嬉しい、とかいう理由で定住を始めたりもするんだとおもいますが、もうちょっと情緒的にとらえるならば、その結果その土地で死んでいった親族やらから離れていくのは、将来自分も置いてきぼりになるみたいでなんかやだ、という素朴な感覚。また、埋葬をしてしまうと、そこからどうしたって死者はうごいてはくれない。故に、死者がありきで集落が形成され、それが都市の核となったのではないか、というのがとりあえずの仮説です。

 こうするとさらに興味深いのは、エジプトやギリシアといったなぜ祭祀を中心とした都市形成が行われるのかということにも、より立体的な視点がえられるかも、と考えています。

 さて、以上がまずは都市の起こりについて考えたことです。 次回はいきなり時代は近現代にとんで、東京という街の形成について考えます。