工房的都市論Ⅹ 感情の流通および文明と野生の利器

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本を読むなど。「銃・病原菌・鉄」
なぜ地球は多様であるにも関わらず、西欧の人々がアフリカ、南北アメリカ、オーストラリアを席巻することになったのか?それは、銃、病原菌、鉄が要因です、という話です。もちろん、その影響を決定づけたのは、環境であるということ。

銃や鉄という工学的な側面からは、その技術が発展する素地が必要で、それは、農耕の発展によって余剰生産物が生じて社会のなかに専門職を養えるようになったのが原因。
農耕を行うには、農耕を行うに適した作物が必要であるが、その作物も環境に依存して分布しており、農耕生産物が豊でない場合、やはり工業力の発展がなかった、ということです。
これは、まあ納得です。いわば文明の利器。

一方、興味深いのは野生の利器とでもいいますか、病原菌について。北アメリカや南アメリカには、昔からたくさんの人が住んでいたそうですが、ヨーロッパから人が往来するようになった際に、病原菌が蔓延したくさんの人が亡くなった、とのこと。北アメリカでは実に先住民の95%が感染症によって亡くなったとのことです。

この逆に、なぜヨーロッパに壊滅的な病原菌の蔓延が頻発しなかったのか。これも、どうも人口の集中や移動がキーとのこと。人口が増えることによって、多様な人が流入する。すると、様々な病原菌が持ち込まれる訳ですが、その事で、病原菌に対する耐性を持つような遺伝子グループが生存する、そのフィルタリングの機会をたくさん得る事ができた。

そのため、人口が集中せず、また、人の移動も緩慢な地域において、外来の人との接触によって、未知の病原菌にさらされることでクリティカルなダメージを受ける。これが、また、西欧が覇権を握った一つの理由とも言えます。
逆に、ニューギニアなどで欧米人が定着できなかったのは、マラリア等の病気を克服できないからともあり、この原理は先進地域であろうと未開地域であろうと平等な影響があるのだと考えさせられます。病気については、そこまで深く考えてなかったですが、文明発達と伝播に多分に影響していると理解です。

さて、以上をふまえて、和辻哲郎の風土などを思い出す訳ですが、人が集中し得るのは、上記のようにどうやら風土に恵まれるという豊穣がおおよそ大事だと理解されます。

しかしながら、ここまでは先史から近代までの話で、今日における都市は、農業生産に裏打ちされているとは必ずしもない。なぜならば、食料生産は本来都市の周辺の事象でありましたが、地球規模での流通を前に、都市の周辺は地球の裏側に至るまでになりました。故に、食料生産に恵まれた土地は、もはや先進の地域として位置づけることができない。
今日における都市は、都市であることによって、養われる専門職がますます高次な職能を持った人たちなりつつあります。

例えば、芸術。これは先史からありますが、舞踊や歌劇、絵画や音楽といった技能それだけで生活できる場というのは、現代において圧倒的に都市部になります。
例えば、金融。こちらは人間が発明したミラクルな訳ですが、金融それ自体で職業がなりたつ、そして都市生活において生活に直結する職能というのもないのではないかと思います。

面白いのは、芸術は金融がある事によって金銭と作品が兌換され、かといって、作品の価値は貨幣があることによって規定されるという関係にあるということです。
貨幣がなければ、作品の価値は計量できない。実用的な価値とは別の価値を認めても、その価値を表現する術がない。賞賛は価値の表現ではあるけれど、その結果として生活を行うことができない。
この価値に関する感情の流通を金融が支え、そして、そのことが現代の都市における人間の交流と文化文明の発展を担っている側面が垣間見えます。

書きながらになりますが、工房的都市論という論の10回目の投稿で、この発想は個人的にきた!と思うところ。つくることは衝動がスパークとなり、その伝播はそのモノの価値で決定されるかもしれないし、先ほど述べた感情の流通が価値を生むかも知れない。

都市が消費の場所ではなく、この感情の流通によって支えられるような都市になる事。工房的な都市像はそいううものかと。

3000年後にこの手の本のタイトルをつけるとしたら、何が残るのか。案外、メタンハイドレードとか、放射線量とかそういう事になるような気もする。