工房的都市論Ⅻ 海上都市と都市の終わり

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kaizyoutoshi

菊竹先生の「海上都市」を偶然手に取って読みましたよと。

正直なところ、やはり人造の都市計画は荒唐無稽な印象が拭えませんがちゃんと計画をしている事が理解できます。

海上都市は、1970年代にハワイ大学で検討された、今で言うところのメガフロートの計画。海上としが必要となる社会的問題、技術的問題、経済的問題を検討して実現のための計画と技術的検討をしています。

海上都市が見直されていいと思われる点は、災害対策の面。地震に対しては海の上なので心配が無い。地震に伴う津波についても、津波自体は陸地に近くなるほど波が高くなるので、沖合にいればそれほどでもないはず。以上の災害時の支援拠点としての機能を海上都市の計画で培われたノウハウを活かす事は可能であろうと思われます。

ただ、この手の都市計画で感じるのは箱庭感と言いましょうか、周囲のグレーゾーンの無さ加減でしょうか。計画の段階では、きれいな世界なのですが、実際には影ができるであろうということ。
都市はどのようにできるのか?という謎にもどるんですが、ボトムアップにできている都市であれば、ある意味無秩序に伸びる形態が想定できますし、計画都市であれば、区画にそった都市ができるかもしれない。

海上都市の場合、都市の成長がいわば物理的な人工地盤が限界となる。そして、その地盤が支える重量もその人工地盤の設計値に依存するのではないかと想像できます。

こうなると、都市の新陳代謝というものが起きないんじゃないかとという不安にかられます。ココだけ考えると、なんだか閉塞感のあるちょっとつまらないような印象すら受けます。

が、菊竹先生の面白いところは、このような海上都市が不用になったら沈めちゃえばいいんじゃね?とも考えていたみたいな点。以前取り上げましたが、メタボリズムの未来都市展の図録を読み直すとそう考えていたみたい。

おそらく都市建築には膨大な資材が必要になります。長い時間がかかるかもしれない。地上にある都市ならば、一度都市が形成されると、なかなかその場所から無くなると言う事が想像はできないです。とはいえ、世界中に都市の遺構が残っているので、数百年、数千年レベルで見れば都市の趨勢があります。

これを、ある意味では計画段階で織り込んだものとして、都市の仕舞い方を計画しているとするならば、これはすごいなぁと考えます。為政者が考えるような都市というのは、その都市が未来永劫あるかのごとくの錯覚を覚えるような、そして、市井の人間にとっても当たり前のように思えるようなもの。
それの終わりを考えた設計は、後ろ向きと考えられるかもしれないですが、むしろ新しい考え方なのかも知れません。

工房的都市論としては、モノをつくりやすいとしというものを想定してはいたのですが、都市自体のスクラップアンドビルドもいわば工房的なものなのかもしれないと思われる次第です。

海上都市のような人造の生活環境とは、永劫にある事を保障する地盤ではなく、地盤よりも長い期間地球上に存在するであろう海というフロンティアをとらえた事によってなんだかワクワクしそうな予感を感じた一瞬でした。

K.Kikutake Architects

http://www.kikutake.co.jp/PROJECT2/marinecity/MarineCity.html