工房的都市論13 都市の原理と時間圏

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都市の原理、という本を読みました。写真は、、、関係ないようなあるような。。。

さて、ちゃんと都市理論の本を読んだ事無い気もする、、、ということで目からウロコでございました。(とはいえ、記憶が彼方にいってしまったので、勝手解釈があることはご容赦を)。

目からウロコだったのは、都市は村落の延長で発展してきた、のではない、という考えかた。これは普通の発展のイメージとは全く異なった考え方だから、なんということか!とおもったのですが、これってこれまで考えてきた事とじつは一致している部分もあるぞという妙に得心。それに、そのような都市を考えるにあたって、時間を共有化するということに新しい概念があるんじゃないかと考えるに至りましたよ、と。

まずは、産業や経済発展の過程。都市は地方に伝播し、地方を牽引するようになる、という考え方も示されており、都市と鄙という対立ではなく、それらを包含した上位の概念としてなんらかの位置づけができうると考えることができます。

都市の起こりについてですが、これは本を読んでも結局謎は謎のままなのですが、ローマの記述が興味深い。私の生業でもあるデザインdesignの原意となる言葉が生まれたのも、このローマ時代ということになっております。このローマ、何を産業としていたかというと、装飾品の製作と行っていた、とうことだそうです。というのも、この装飾品も、その他の民族や地域が作成していたモノを模倣するこから始まったそうです。

日本の記述もあるのですが、日本がかつて、自転車というモノを輸入してた。
これは全くの舶来品である訳ですが、高価なものですし、修理をしたいというニーズが起きる。最初は部品だけの輸入だったかもしれません。ところが、賢い修理人は部品だったら内製できるのではないかと、壊れた部品だけをつくって修理するようになる。
そうこうしているうちに、あらゆる部品を製造するようになり、ついには自転車を自力で製造することができるようになる。
そのような過程が、世界各国、そしていろいろな時代で行われていたということが言えます。

模倣から始まる、工房的な感覚がまずは想起できます。

さて、ここで話は進展するのですが、この出来事は、ニーズが無ければできない。なので、まずはこのような産業化は、本質的に「都市」のなかで起きる。なぜならば、「地方」、特に農耕的な集落規模においては、新しいモノがそもそも希薄な上に、自然から搾取をするという根本的な生産形態からは新しいモノを作るという動機付けがそもそも働かない。

生産過程の発展というのは、地方農村と都市との間には隔絶がまずは存在しているということが理解できます。

では、モノやサービスといった産業形態は都市で本質的に都市から発生するといえることがわかった訳ですが、ここから、どのように地方に産業が展開していくのか。この機序について考察も加えられています。

ここでも自転車の例で挙げますが、モノをつくるにあたって、最終生産財はいろいろな部分、部品を組み合わせて作り上げることになりまる。その個別のモノたちは、集積地である都市の近くにあるほうが流通が経済です。

ところが、生産能力が枯渇する、具体的には都市という環境に置ける土地の問題や、工業化による行政の指導等により生産が制限されることで、最終生産財を作り上げることが困難となる。

なので、例えば一部部品の製造を地方に展開する事によって、環境の制約を超える動機付けがはたらきます。まずは、第一段階で地方へ部品製造が展開することが理解できます。

また、地方に都市の生産物が流通することで、自転車の例で挙げたように、模倣するというニーズも発生します。ここで、ある都市が経たような産業の起こりがはじまります。

ある段階にいたると、そもそもの生産を地方に移転する自体が生じます。これは、環境の制約が限界を超えることと、都市での生産が部品の集積の利便性を超えてまでコストがかかる場合が挙げられます。

ここで、一切があたらしい地方に生産の地を移す、という考え方もあるのですが、本書においてはその方法が否定されています。新しい方法を受け入れる土壌がなければ、一時期はうまくいったとしてもそのあとが上手くつづかない。

つまり、都市からの修理や部品生産といった技術移転が行われている必要があること、これは、部品の調達において、地方においても経済的に部品を取得する可能性が高いという蓋然性を担保できます。このような土壌があることによって、地方に産業が移転し、都市化が可能となるといえます。
故に、いきなり工業団地なんかをつくって、産業移転をしても、よっぽど地の利が無い限りはあんまり上手くいかなさそうといえます。

また、大手企業が海外工場をつくったりします。これも、一種の都市機能の地方への移転とも言えます。しかしながら、あんまりちゃんと調べてないですが、一つの生産機能を目的とする産業移転はあんまりうまくいかないような気がします。

たとえば、産業移転という話ではないですが、炭坑など、その周辺に街ができ上がることは往々にしてありますが、そもそも自然から搾取を行うこの産業は、資源が枯渇すれば自然と衰退していきます。これは、その産業を支える周辺の産業が立地場所に発生しづらい、ということが挙げられます。やろうとすると、その資源が枯渇しても、その他の地で使えるであろうモノをつくる等しておかなければならないだろうと考えられます。

以上が、ざっくり本書を読んで理解したことと考えたこと、当然誤読や妄想が混じってますが、おおよそ新しく考えておくべき点は押さえることができたのではなかろうかと考えます。

さて、ココからなのですが、サービスとかはどうなのだろうか?ということ。金融や通信など、お堅いけれど、産業の近くにあると便利な事はさまざまあります。デザインも一緒ですが。
これは、産業の周辺に属するサービスが必要とされる、という都市の成熟を経る事によって、どんどん発生し、そしてそれが本業になる都市が出てくるのかな、、、と考えています。なので、これはどうしてもそれだけ切り離して置くことはできないようにも思われます。

しかしながら、今の世の中は何が違うかというと、実際のモノに紐づかない情報に価値が見いだされているということ。この情報は、デジタル化できるならば流通コストがほとんどかからず、地球上、宇宙すら超えて流通することができます。

なので、飛躍しますが、競争力というのは実は時差というところに置かれるのでは無いかと考えています。たくさんの人が生活している「時間圏」というなかにリアルタイムに何らかのフックができるならば、そのリーチの幅は大きいですし、逆に人が活動していなければ、他のたくさんの人を出し抜くことが可能になるかもしれません。

このように、これからの都市の競争力というのは、環境にひもづく人やモノの流通コストや周辺産業の成熟度とは別に、時間圏という概念によってとらえ直すことが重要なのかもしれません。

何時に何人起きてるか考えるとちょっと楽しくなるかも、とかなり斜め上を行く結論を得ることにいたった都市の原理、オススメです。