工房的都市論15 年について考える都市

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もうそろそろ年が変わろうとしております。本年もお世話になりました。来年もよろしくね、ということでようやくがしがしと書き物を焦ってしておるわけですが。

都市について考えるということで、その対象にある、地方。今年も一応地方である実家に帰ってきました。かたや東京、かたや地方ということで、日本はどうなっていくのだろうかとも考えます。

などと思っていたところ、以前取り上げました、ジェイン・ジェイコブスさんの本が文庫本になっていましたのので、読みましたよと。

以前取り上げたのは、「都市の原理」という本で、こちらは都市の発展過程が、他都市との公益によって、都市の中に置換された産業が起こり、その結果として都市自体がほかの都市と交易が行えるようになる、という考察が行われていました。

これは、都市の発展が農耕から工業へと移行していくのではなかろうかという素朴な発展論とは異なった考え方であり、目から鱗が落ちる思いでありました。

文庫になったのは「発展する地域 衰退する地域/地域が自立するための経済学」。これは、先の都市の原理と裏腹に、都市が衰退するにはどのようなメカニズムが働いているのかというのが考察されています。

手元に本がない、、、ということをふまえてになってしまいますが、理解としては、都市の経済が多分に外部依存をしている場合、この外部要因の変動によって左右されてしまうということがあげられます。

ある独自の産業が都市にある場合、この産業が都市の必要を支える論拠となるのです。が、一方で例えば工場がいきなり誘致されるとか、発電所ができるとか、その都市自体に理由がない産業が据えられた場合の問題です。

落下傘的に落ちてきた雇用であるとか経済基盤は、そもそもその都市や地域が必要とはしていなかったものではありますが、それに付随する金融やサービス、通信などの需要が喚起されるために、都市はあたかも繁栄を見せます。

しかしながら、工場が撤退する、あるいは、発電所の補助金が打ち切られるなどなど、主たる基盤を失った場合、その都市の必要を見つけられないままの場合、衰退する運命にあるというもの。と、理解しています。

これは、地方からみると確かにそのような一面はあり、なるほどと思う訳です。

で、タイトルにもしていますが、工房的都市とはその場合なんなのということなのですが、大規模な工場とかそういう基盤の上に成り立つ都市とはことなり、都市住民が必要であるとおもったり、つくりたいと思うモノやサービスを、その都市のなかのネットワークや資材を活用することで実現し、流通する都市のようなイメージ。そして、それによって財の流通が都市の中で活発に行われるようになるのが望ましいでしょう。

これを実現するためには、たとえば穴をあけるのが得意な工場とか、録音するのがすごいうまいとか、あらゆる革製品を取り扱っているとか、全く規模が期待できない能力を備えている人や法人が存在していることが期待されます。
そんな特徴的な人たちが普通の暮らしを行おうと現在の都市で考えると、ちょっとした難しさもまた否めません。

しかしながら、それが必要である、という状態を作り出すには、やっぱり人と人とがであったり、なんかやろうと思ったり、ある意味では祭りというかフェスティバルのような特別な時間をつくるといった仕掛けを都市にインプリメントするといったことが必要なのではなかろうかと考える次第です。

といったところで、もやもやと考えながら年を越えますが、来年も引き続き都市について考える年にしていきますよっと。