工房的都市論16 芸は国を助ける

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諸般の事情で更新を自粛していたら早くも10ヶ月が経ち。恐ろしいものです。10ヶ月いろいろありましたが、直近のことで、池上永一さんの新作を渋谷TSUTAYAで発見、なんと、ということで早速読了です。

池上さんの作品は、シャングリ・ラというSF小説を読んだのがきっかけ。炭素経済の描写とか土地が持つ力、みたいな若干オカルトじみたところ、また、ぶっ飛んだ登場人物群となかなかのエンタテインメント。その他にも作品ありあますが、テンペストという小説では舞台を末期琉球王朝においた、これまたぶっ飛んだ登場人物群のお話。舞台や映像化もされたらしく、舞台は赤坂で仲間由紀恵さん主演のを見たりしたり。。。ということを過去にも書きましたね

合間にトロイメライを挟みつつ、新作の名は「黙示録 」。黙示録って行っても耶蘇のあれと違うで!って話なんですがタイトルから何やらおどろおどろしいオーラが。
帯から読み取れるのはコンテンツが琉球舞踊、しかも登場人物はどうやら男ばっかり、分厚い、ということでどうしたもんかなぁと思いましたが、読み始めてすぐの怒濤の展開にあっさり陥落。やはり池上さんの小説のぶっ飛んだスピード感は酔います。
そしてまた、なんと言いましょうか、雑草魂に火がつくというか、清々しい読了感です。ぜひオススメ。

さて、下記は読んだ後の所感です。

工房的都市論としては、やはり地政学的見地からの沖縄という存在、また、全然関係ない側面からは芸術って何よ論です。

地政学的見地からの沖縄
琉球の歴史って、何となく知っているようでやはりよくわからないというのが実際です。小説の舞台は江戸初期、琉球王朝が薩摩侵攻を受けた後、という学術的には近世琉球という時期。また、池上さんの小説を読んでるとわかるのですが、中国の国王から承認を受ける体制になっており、要は琉球は2正面体制をとっていました。
言ってしまえば小国が大国間で独立を保とうとした場合のパワーバランスの均衡をはかること、を存続戦略としてとっていたといえます。
どちらの国にも支配されているけれども、支配されていない状態であったと言えるかもしれません。
小説では、その際にどのような国であるかか徳川幕府および明(その後清?)に舞踊をもって伝える、という作戦が描かれており、なるほどなぁ、と思ったしだいです。芸が身を助ける、というか、芸が国を助けていた訳です。
では、たとえば日本の例で行くと北に向かいますと北海道、蝦夷地。こちらは明確な統治体制がなかったこと、比して広大な土地がありながら人口密度が極端にひくかったことなどありますが、あるいみではゆるやかに日本として統合されていってしまいます。何が琉球とは違うのか?
それはある意味では100%ある国家に取り込むほどのインセンティブがなかった、ということが言えるのかもしれません。遠いし、不可欠と言える資源もあったかと言えばそれほどでもなかったかと。

たとえば、ある土地が産油であるとか貴重資源がとれるのであれば、侵略侵攻の上、統治体制に組み込もうとするかもしれません。そして、システムとして円滑にその土地を統治するのであれば、言語や習慣を侵攻国と同等のものとしようとするかもしれません。これは、日本が朝鮮半島や台湾、北方や満州で実際に行いました。
また、古くはローマ帝国は遠征を行って版図を広げるとともに、各都市にローマ式の城塞都市を建設し、ローマ的文化を移入させました。
このように、侵攻というのは、武力によってと文化によって彼の地を征服するところにあるようです。

が、ここで、本作を読んで思ったことは、文化が際立って違い、また愛でられるようなものであった場合、どうであろうか。本作では琉球であることによってなり得た舞踊という芸術を武器に大国と渡りあった、という筋書きではありますが、これはどういう心理的効果を与えうるか、と考えます。

侵略によって文化を持ち込み統治する、ということは、従前にあった文化を駆逐することになります。その文化が尊ばれなければそうすることに抵抗はないでしょう。一方、すばらしい文化がそこにあり、また、その文化に何らかの外力を加えることによって変質してしまうならば、侵略という行為に一定の歯止めがかかりそうな気がしないでもない。
彼我に勢力差があり、かつ、その差が圧倒的である場合において、侵攻するモノに対して資源という経済的欲望と、文化という精神的欲望を天秤にかけさせ、独特の地歩を築く、とう戦略なのかしらと一人合点がいっている訳ですが、これは小国としてクレバーだなあと嘆息するわけです。

芸術は武器になるぞ、で、その戦術戦略はどうもあるのではなかろうかと、思う次第。これを現代に当てはめてみたときにどうなるか?とうのはどうやら次回になりそうでいつになるのやら。