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工房的都市論Ⅵ 森山大道さんとコピー不可能性

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諸般の事情から、関西方面へ旅行してきました。そもそもしばらく大阪に住んでいたのですが、しばらくぶり。

国立国際美術館で行われているオン・ザ・ロード森山大道展について。大阪に行くまで開催している事をしらなかったのですが、思わず足を運んだ次第です。

森山大道さんは大阪で商業デザインに関わった後、カメラマンに転身。ロードスナップを中心とした作品を作成。アレ・ブレ・ボケとよばれる荒々しい描写が知られています。個人的には、大学時代には森山さんの作品に憧れて写真を撮っていた、そして焼いていた口です。

当時は、かっこいいと思う反面、その画質に惹かれて、テーマやその理念について、あまり理解できていなかったと、今回改めて展覧会を見て感じました。路上のスナップ、様々な都市で撮影された人々や路上や男女、それらの対象が彼方の者であるように思われていました。

しかし、日々東京に暮らし実感を持ち、さらに、大学の時の感性から時間を隔てて、かつ大阪という地でその作品を眺める、ということで、都市論としていままで思っていなかったことぽろぽろと。

都市の賑わいや猥雑さをなぜ写真におさめるのか、別にたいしたことじゃないじゃないとも見えるし、見慣れたものでもある、そうではあるのだけれど、その瞬間を写真にわざわざおさめるようとする人は、やっぱりいなかった。

何か特別な事を写真におさめることに意味を見いだす一方で、特別でもない日常の起伏の中の一瞬を写真におさめることに意味がある。その場にいる事によって写真がとれる、その事を忠実に実施し、その写真が存在し得るという当たり前の事実。

もう一つはコンポジション。大阪でのスナップも展示されているのですが、例えばビリケンさんの写真の横には、ジーンズを履いた女性のヒップの写真。これも、なにがどうかと言われると、並んでいるだけなのですが、なるほどと思わざるをえず。なんか似てる。大阪らしさというのは、コレな気がする。

携帯電話にせよなんにせよ、写真を撮影する機器がたくさんある以上、だれだって実施できるにもかかわらず、じゃあそれをやってみようと思う人はやっぱりいない。作家性とは、実行できる執着、そこにある気がする。

ただ、これらに気づくようになったのは、なぜか。金沢にいても、大阪にいても、やっぱり、この写真なんだろうと感じていたのではないか。東京に住む事でようやく追いついたような気もする。というよりも、しっくりくるようになってきた。

ようやく、都市論のような所に行き着くのですが、都市は人がつくるし人がいる。都市の様子を類推するというのは、実のところはできないのではないのかという事が個人的に思いいたるところ。つまり、なぜわれわれは海外旅行をしたくなるのかにもつながるのですが、都市を丸ごと違うところにコピーすることは、人類にはできないのではないか、という、これも至極当たり前の事を考えるわけです。

今後、何らかの都市が破壊され、そのコピーを別の地域(あるは惑星でもいいですが)に作成するとしても、地形や風土、周辺民族や政治形態によって、都市の特徴も形成される以上、そのコピーを人為的に作成することができないのではないか。よって、人に会いにいくように、人は都市あるいは地域に訪れる、その行為は唯一無二に会いにいくという、そういう感覚に近いのだという事を考える次第です。

大道さんの写真を見て通して感じた都市や地域の像のコピーは、実際には、その場に行かないとやっぱりわからない。そして、それは唯一無二の都市をシェアしているという、やっぱり当たり前の事実を気づかせてくれます。

ということで、個人的には、是非いろんな人に観に行ってほしいと思う展覧会でした。写真展でいろいろ考えたのは、じつはこの展覧会が初めて。

ちなみに、記録ビデオも上映されていると、北陸に一時期いたという事が一瞬述べられ、あれっと!ぞわぞわして略歴を見てみると、幼少期の一時期、福井県丸岡にいたという事への衝撃。なんだかわかりませんが、やっぱり、とますます納得。。。