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工房的都市論Ⅷ メタボリズムとぞわぞわする気分

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都市論とかいっていろいろ考えているところに、森美術館でメタボリズムの未来都市展をやっておる、ということでみにいきました。
さて、メタボリズムとは何ぞ、ということなのですが、建築運動としての名称ということだそうです。おなかのアレ的なもんじゃないよと。


"1960年代の日本に、未来の都市像を夢見て新しい思想を生み出した建築家たちがいました。丹下健三に強い影響を受けた、黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦といった建築家たちを中心に展開されたその建築運動の名称は「メタボリズム」。生物学用語で「新陳代謝」を意味します。それは、環境にすばやく適応する生き物のように次々と姿を変えながら増殖していく建築や都市のイメージでした。"

という事だそうです。

このような運動が行われていたとはつゆ知らず、ということで建築には疎い。で、このようなエッセイを書いているわけですが、日本という国において、かつてこれだけの思想的背景をもって建築活動が行われてきた、というのは正直驚きです。というわけで、これをきっかけに近郊の建築を見てみようということで、写真は国立代々木競技場です。

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東京湾を埋め立ててビルを建てて、巨大な都市を作る、といったプロジェクトや、DNAの二重螺旋のような形態の巨大ビルディングなどといった構想は、SFじみていてたいへん興奮するものです。また、メタボリズムグループの作ってきた建築物の意味や背景についても、模型や写真、CGに映像で展覧できてわかりやすい。

たとえば、日本の国の建築というのは柱に意義がある考え方をもつ。そのモチーフを元にした建築設計を行う、ということは、そういう考えがあったのかという関心です。
しかしながら、思想があるということはわかったのですが、はて、その理念なり観念が巨大な建築物となる、というイメージがどうしてもまだ実感を持ってつかめないというのが現状です。
もちろん、メタボリズムグループの提示したプランは壮大すぎて実現しないものが多くて当たり前なんですが、ぞわぞわする気分でいっぱいでもありあす。そのぞわぞわの核心が何かというのは個人的に非常に悩ましい。

まず、ぞわぞわの要因の一つが、完結度の違い。
絵画や音楽は、場合によってかなりの割合を個人の仕事として完成させる事ができます。プロダクトデザインなどは、産業と結びついているために、企業体とむすびつくこで実現できる場合もある。
ところが、建築の場合、莫大な資源を投入したり、いろんな職能の人が手がけなければできない、しかも、ほぼ一品もののようなもので、プロトタイプとして量産するようなものでもないということ。
すなわち、建築物として一般の消費財と比べて寿命がかなり長いために、状況に応じて構想されたり実際に建てられたにも関わらずその経験は一回きりとなることが多いという点が、なんとも忍びない気もします。

もう一つは、建築物の持つ権威性や公共性という、個人所有物とは異なった主体性のなさ。
建築史の本をぱらぱらめくると、日本はまず寺社仏閣、西洋建築は教会ばかり。どうにもこれらの建築物から現代のオフィスビルというものにつながるのはなぜだろうかという疑問です。現代に建築物は、宗教施設が有名かというと、そういうことはなく公共施設だったり、オフィスビルであったりします。

要は、昔の建築は宗教施設ばっかりなのは、その建築物を作るだけの物資と労働力を投入できる権力者だからこそできた事業だったと、当たり前ですが考えることができる訳です。人が住まう以上の機能をもつ施設は、合理的には重要度が高いと思えない。神社はそもそも通常人間がいない。教会は、大きなホールがあったとしても、ミサ等の時に使うだけで日常的には不要。ところが、その建築物を造ってしまう訳です。

それは、人知を超えた存在としての神の存在を感じさせる象徴として機能したという、多分に情緒的な存在であったのだろうと思われます。また、権力者のとってみれば、その神仏の力を威光とする機能もあったとも言えるかもしれません。

で、ココまで考えると、ローマの都市や日本の城郭といった、帝国における市民生活と娯楽、あるいは、防衛・安全確保の機能としての建築物などの議論がその後登場するはず。だけれど、一足飛びに議論をすすめると、近代建築というのは、資本というある意味では得体の知れない神憑った存在、あるいは、国家や自治体といった社会生活上において個人が共同体に権利を付託する存在といったものらが、現代における権力性として建築物を建造する原動力になっているのだな、と考えています。

だから、そこからどんどん発想をアナーキーな方にもっていくならば、近現代の象徴としての建築物だったら、鉄骨でできた仏閣や十字架型をした教会なんてのがあったら面白いのになと思う一方、情報社会においては、人の住まないデータセンターなんてのが、象徴的な建築物になる時代なのかもしれないとも思います。ちなみに、十字架っぽい近代建築は日本にあるんですね、関口教会といいまして、こちらも先日見物にいきました。。。


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一方、メタボリズムのムーブメントのSF的な建築が、重要な示唆を与えつつも、その存在の実現をどうにも透視できないのは、その建築物が持つ象徴が果たしてなんであるのか、また、その施主はだれであるのかハッキリしないものなのかも知れないとおもいます。例えば、ブレードランナーの都市は、混乱をきたした産業複合体が特定地域に集積するという必然性を想定しなければ、あんまり現実味がない。同様に、メタボリズムグループの建築プランは、魅力的ではあれども、誰がじゃあそれ実現するんだろうとか、誰がすんでどのような物語が繰り広げられるんだろうという、コンテンツの想像がいまいち沸いてこない。だからSF的な建築だなと思う訳です。

とはいえ、この展覧会があった六本木ヒルズなんて、自分は何回いっても迷子になるし、巨大な建築物であることはたしか。ああ、こういうものは、現代においは巨大な資本という手によって出来上がるんだなぁという実感も得ることができます。

多分、根気が続けば、メタボリズムグループとアークグラムのなどといういまから40年も50年も昔の建築の思想について比較して、権威性と反権威という構造について。また、これからの震災と人間生活と都市計画、情報都市なんてもの考えたいなと思いつつ、、、四畳半の眠りにつく訳です。