「禅とオートバイ修理技術」はデザイン

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「禅とオートバイ修理技術」を読む。

バイクメンテナンスに苦労したから、というのもありますが、10年くらい前から、タイトルに衝撃を受けて、読んでみたいなーと思っていました。文庫になったのを目にして、なんて偶然何だと思いながら読みましたが、瞠目です。

これは、デザインの本である、と思います。

略歴によると、著者のロバート・M・パーシングさんは、飛び級で15歳で大学に入学して化学を専攻するが、2年で落第。朝鮮戦争にいってから復学して哲学の学位をとって、テクニカルライターをへて大学で修辞学をおしえる。で、このあと考えすぎて精神に異常をきたし、入院、その後、脳に電流を流して治療するという方法で記憶をなくすが、回復に向かったそうです。現在も執筆を続けているという事です。唯一無二の経験を持つ、ものすごい人です。

本書は、記憶をなくした後の話で、息子と一緒にバイク旅行にいく話を表の話に、一方、かつて記憶をなくした自分が記したものなどを手がかりに、昔なにを考えていたのかを、現在の自分がよみといていくという構成になっています。ちなみにバイク修理テクはほとんど出てきません。

どんなもんなのか、ポアンカレやらアリストテレスやらと縦横に科学や哲学の概念を分析する下りも出てきて興味深く、内容は読んでいただくとして、なぜデザインの本だと思ったのかというと、ロマン的と合理的という2つの人間の性質について述べていて、このあたりのジレンマ、あるいはアポリアというのが、デザインとすごく似ている。
そして、オートバイ修理技術という、個人的には非常に人間的な精神活動を、まさしくそのように書いてあり再度の衝撃を受けてしまったのです。

移動手段としてのオートバイは、これは動いてもらわないと困ってしまう訳ですが、そのメンテナンスをなぜ自身でやらないといけないのか。その説明は、これまでは自分としてはお金がないからといってきたのですが、なぜかそれをやらないといけない、という気にさせる何かがあったのです。これは、あんまり説得力のある説明はできないなかったのですが、どうも精神的な関わりとすごく関係あるとおもいます。

事実、これまで至る所に疲労のあるバイクばっかり乗ってきて、調子が悪くなると、自分も不機嫌になるということをくりかえしてきて、現在も、キャブのオーバーフローに苛まれ、かなり不機嫌。

加えて、仕事的な方もうまくいかず、もっと不機嫌という状況です。バイクを手に入れてから、いかに自分が世の中を生きるのが下手なのか?と考えざるをえなく、またブログを綴る訳です。

でも、このサイクルは、どちらが主でどちらが従なのか、ちょっと判断しかねる部分もあります。バイクを手に入れたのは自分の意志ですが、バイクの調子が悪いのはバイクが原因、しかしメンテをしたのは自分であり不徳の結果なのかと。
バイクの調子に自分が影響されてそれがまたバイクに反映されるという、よくわからないスパイラルになってしまう。

じゃあ本書をよむと、具体的になんて書いてあるかといえば、それは覇気が影響されているという事なんです。覇気かよ!そうなんです、気持ちの問題なのです。
本の帯に書いてある部分だけですが

「しかしこれだけ用意周到にやっても、思わぬミスを犯してしまうことがある。そんなときはグッと覇気を見すえることだ。時間を無駄にしたと思って、事を急いではならない。急げば急ぐほど、ミスはますます多くなるだけだ。もう一度最初からやり直さなければならないと分かったときには、長い時間ゆっくりと休憩することである」
とあるんです。なんでぇ当たり前じゃねぇか、精神論じゃねぇかって思うかもしれないのですが、実際そうなんです。やっちまったってときは、もう立ち上がるまでの覇気をためる事の方が大事。 デザインも、もやもやとスケッチ書いてるときは、ロマン的にやってたり合理的に考えていたりするのですが、それがぴたっとするには覇気が続かないといかんと思います。覇気に影響がでてきたら、これは休むにかぎる。 また、突飛ですが女の子の気持ちは分からんと思っていつつ、覇気とかどうとかに共感しているようじゃ、こりゃ一生分からんままだし、おそらく分かろうとしないんだろうともおもってしまいました。

グッと覇気を据えて、デザインをして、バイクのキャブをまたおろします...女の子には目を向けず...


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